こんばんわ。
大阪でヨガ&アロママッサージをしているちかです。
今日はヨガ哲学のヴァイラーギャ(離欲)について
お話したいと思います。
日常で使えるようなお話も織り交ぜていきますよ。
ヴァイラーギャ(離欲)とは
まずはここからですよね。
今回はインテグラルヨーガより。
見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が
離欲(無執着)である。
と書かれています。
無執着は無関心ではなくて、関心を寄せ集中してやるべきことを
淡々と続けることであり、その結果に執着しないということ。
それは心を込めて行い、
結果が思うような形にならなくてもこだわらない。執着しない。
難しいですけど。
じゃ欲がなくなったら楽しかったり達成感や充実感もなくなるから
やる気でないわ。という方もいらっしゃいますが、
欲をなくすのではなく、「私的な欲をなくす」のであって
他人に対して奉仕することやお役立ちすることに対しては
貪欲であれ。とスートラ(経典)では伝えてくれています。
心に執着がないとき、心が完全に自由であるならば瞑想も必要ない。
とまで言うほどに離欲が大切だと言っています。
なかなかできませんよね。出来れば悟り開いてますから(≧▽≦)
離欲を日常でしていく方法
私が煩悩多い人間なので色々と試して実感があるものを
お伝えしたいと思います。
①瞑想(鎖を切る)
瞑想をするときですが、間違いなく「無」になることは出来ないと思います。
じっと座って何も考えないということが出来るのであれば
もう悟っているのでやる必要はございません。
例えば、雑念ってこんな感じ。
「静かに座ろう」
…
「…あれってどうなったっけ?」
「そういや明日の用意できてたかな?」
「ん?この匂いなんだろう?魚の焼いた匂いだ。お腹すいてきたな。」
「そういや職場の近くに新しい食道出来たな。今度仲間のAさんと一緒にいこう」
「Aさんの書類間に合ったかな?」
「あ~お尻痛くなってきた」
…という感じでイメージがどんどん飛んでいきますよね。
これが鎖のように、どんどん輪っかが連なっていくんです。
無意識にしていると、
人は色んなことを考えていますから鎖はどんどん連なっていっちゃいます。
その鎖をブチっと断ち切るイメージを持ちます。
そして、切った後にまた出てきたら切ります。
その時に、「あ~私は今こういうことを考えていたんだ。そうか。」
と自分と考えていることに少し距離感をもって
他人が考えているような意識で見てみます。
普段でも気づいた時に、鎖を切るようなイメージを持つと
ネガティブや無駄な心配が減って、余計なエネルギー使わなくていいから
オススメです。
②これは私ではない
これいうとさっきのは何なんだ。ということにもなりかねませんが
何か悪いイメージやネガティブなこと、失敗、悲しみなどに
心が奪われそうになったら、
「この感情は私じゃない。さっきのは私とは別人の宇宙人だ。」
というくらい分けて考えちゃうと楽になります。
②も①と一緒で今のネガティブな自分を切り離すイメージ。
切り分けて、自分のその感情を客観的に見て、受け止める。
受け止めることでまた融合し、その感情が自分のエネルギーとなって
戻ってきますから、切りっぱなしにしないで
そう感じている自分を許す。
失敗した自分を許す。
そうすると他人のことも許せるようになってきます。
案外他人により、自分を許せてない人って多いかもです。
自分にも優しくしてあげてくださいね。
③その欲は未来の自分に繋がっているのか?
今したいと思っていることは未来の自分に繋がっているのか?を
見極めます。
本当に欲しいものと、今していること。その間にはっきりした繋がりがあるかないかを
見極めるここと。今自分のしていることは人生で叶えたいことに繋がっているか?
今一度人生を見つめてみてください。
そうすれば不要なものに捕らわれたり関連のないことに振り回されたり
一貫性に欠けることがなくなっていきます。
今一度あなたの心の深い部分、本当の自分に問いかけてみてください。
この人生で叶えたいことは何?と。
欲望はなくなるのか?
結論から申しますと、ご想像の通りないです。
生きているだけで生存欲と言われたらよくなしでは生きていけません。
だからこそポイントは、私的な欲をなくすことなんです。
地位も名誉もお金があってもなくても執着なく
「自己」を持っていることで心の安定を得ることが出来ると言われています。
自己を持つ=人生で叶えたいことを見つけそこで心を込めて仕事をし
結果は気にしない。
なかなかできませんが、周りの役に立つように意識し、
日々笑顔で丁寧に過ごしていければ(これもやってみると案外簡単じゃないです)
言葉も丁寧にいい言葉を使って(言霊と言いますよね)
人生は変わっていきますよ。
今日もご覧いただきありがとうございます。
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