死を想うこと。メメントモリからみる終わりを想像する大切さ

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終わりの始まり ヨガ哲学

おはようございます。

大阪でヨガ&アロママッサージをしているちかです。

今日は最終的に自分がどうなりたいのか?

どう生きていきたいのかを、思い描く大切さをお伝えしたいと思います。

 

あなたは人生の設計図を描けていますか?

案外日常に追われて、ぼやっとしたイメージであったり、

何となく日々をこなして過ごしてしまっていて、

将来のことまで見えてないかもしれません。

 

私はそうでした。何度もチャレンジして目標を設定してるつもりでも

途中で挫折したり迷ったり。すぐに見えなくなって彷徨っていました。

 

メメントモリ

 

でも、私はそれに抗いたい。

何か生きた爪痕を残して死んでいきたい。そう思うようになったのは、

二十歳半ばの頃読んだ

藤原新也さんの

『メメント・モリ』に衝撃を受けたから。

あの本で何かしなくては。

生きている間に何か生きたという実感を、充実感を感じたい。

 

爪痕を残して死んでいきたい。そう思ったんです。

それからは店をしてお客様に心地よくご飯を食べてもらう楽しさを伝え、

ダンスをして自己表現をしながら全身で生きていることを訴えかけ、

今はヨガの哲学で人生を問うことになりました。

 

途中途中で、挫折や大きな失敗もいくつもあり、

前途洋々なんてものではなかったですが、

それもまた今にいきている大切な経験なんだと思います。

 

足跡

しかも、その失敗は自分が変化しないといけない。

というとてもシンプルなことに気づくまで、何度も何度も訪れたのです。

 

少しずつ理解が深まり、学ぶことで痛い思いをする前に気づけるようになってきました。

それは成長することにコミットしたからに他なりません。

無知は罪。という言葉がありますが

まさに体感した瞬間でした。

 

自分がまだまだなのはわかっているのですが、

未熟な私にも伝えれる人がいるかもしれない。

何か変われるきっかけになるかもしれない。そう思って書いています。

 

あっ、熱くなり前置きが長くなりましたが、生きていくために…と思ったら、

『死を想え。』と言っていた藤原新也さんの言葉が出てきました。

 

人生を終わりから見る

 

死を想うことで、逆算して生きることができ、

死を感じることで、生を感じることが出来る。

 

この本は写真集なので、

見やすくてそして視覚からも訴えかけていて、響き方がすごいです!

印象に残っている言葉は

 

『つかみどころのない懈慢(けまん)な日々を送っている正常なひとよりも、

それなりの効力意識に目覚めている阿呆者の方が、
この世の生命存在としては優位にあるように思える。』

是非読んで欲しい一冊です。

 

 

終わりが見えないと

 

私の経験からですが、目標を立てていても

その目標が達成しやすいもので叶ってしまったらその先に

何も続く目標がない…と感じて

『燃え尽き症候群』みたいな状況になります。

 

未来が見えなくなったり明るく感じない…

心が目標を叶えたと感じた瞬間に成長が止まり惰性が始まるんです。

 

例えば、

お店をするために必死に働いてお店をオープンしたのですが、

オープン後、それからは繁盛させて継続すること。が目標。

日々色々ありつつも大きな変化のない淡々とただ繰り返す日常になってしまったら、

もう目標ではなく、『日々をただやり過ごす』ということに。

 

成長が止まってしまい生き生きとした瞬間がなくなってしまったんです。

 

私は刺激を求めていたのでしょう。

外に何かがあると思っていたのでしょう。

継続する楽しさがわからなかったんです。

 

惰性で過ごしていくこと、楽することをどこかで選んでいたから。

 

ダンスの時も、初めの目標は

『うまくなり週末のショーの舞台にでること』でしたが

それも叶い、教え、大会で優勝しても

何か満足せず、満たされない気持ちがなくなりませんでした。

 

何かが足りない。いつも何かを探していて。

もっといいことがある。もっといい人生があるはずだ。と。

 

そして、この先はあまりにも狭き門に見えて諦めてしまったり。

 

ずっと外に幸せや満足を求めていたんですね。

誰かが認めてくれる。頑張れば周りが理解してくれるだろう。。

 

そして続けて成果や結果がでれば、後は楽になるだろうと。

それも周りが認めてくれたら、そこがゴール。と

勘違いしてしまっていたからなんですね。

 

肉体美

そんな他人基準では満たされるはずもないのに

そんなことにすら気づきませんでした。

頭では理解しても心が全然納得してないときは

結局のところわかってないということですから。

 

そして努力しているようで

同じことの繰り返しをしていることに気づかないままでしたが

不思議なご縁でよい先生に出会い

ヨガに出会うことで、少しづつ体感として理解が深まってきたんです。

 

いい仲間にも出会えたことで環境もかわり

見る世界観がどんどん変わり始めました。

 

今は、終わりを明確に見据えることの大切さがわかり始めています。

 

終わりを想像するポイント

 

ポイントとしては、

とても大きく、壮大な、しかも少しの努力では叶わないかもしれない。

そんな大きな目標を持ちます。

 

例えば、人類すべての人に心の成長を届けれる人になる。とか。

世界中の人に健康な食事の提供してアトピーをなくす!とか。

もう壮大すぎて叶うわけないやん!

っていうくらいの大きなもの。

 

そうすることで、じゃ今できることは?私に出来ることは何?

少し先はどうなっていたらいい?

と人生を逆算してみることが出来るんです。

 

そして簡単に叶わないからこそ、努力し続けることが出来、

まさかのチャンスに出会えたり、大きく変化するタイミングが

やってくるんですね。

振り子

これが未来から今に時間が流れるってこと。

 

普通に過去から時間は流れていると思っていると、

今までの自分とあまり変わらない、

変化のない日常を選んでしまします。

 

そして守りに入ってしまうんですね。

でも、人生変えたいなら大きく変化することを恐れてはいけないんだと

感じています。

 

今までの自分じゃないこと、苦手なことにもチャレンジするというのは

と自分の殻を破ったり、新しい自分に出会えるチャンスなんだと思います。

 

 

そして、その変化の始まりは小さいことからでいいんですよ。

その小さな一歩が大きな実りを生みだしますから。

 

そうやって未来の自分を信頼することで

今、この瞬間からあなたの人生は輝き始めます。

後悔して死にたくないので私は、

チャレンジし続けたいと思います。

 

まとめ

 

死を感じて今を生きる。

生きる目標は高く届かないくらいがちょうどいい。

 

『つかみどころのない懈慢(けまん)な日々を送っている正常なひとよりも、

それなりの効力意識に目覚めている阿呆者の方が、
この世の生命存在としては優位にあるように思える。』
繰り返しになりますが、私も後者でありたい。
そう思っています。

 

 

今日もご覧いただきありがとうございます。

良い一日をお過ごしくださいね。

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